スペイン、セビリアを1週間滞在した後、グラナダに数日寄って世界遺産、アルハンブラ宮殿を見に行きました。
その後マドリードに戻り、そのままオーストリアのウィーンに行きました。ウィーンと言えば20世紀の画家、クリムト、シーレ、ココシュカ、ゲルストル。その他モーツァルトや王家のお城。子供達を連れて行きたい所だらけです。
2週間滞在したのですが、ほとんどが美術館めぐり。どの美術館も見所が多過ぎて、時間が足りなさ過ぎて私的には同じ美術館に何度も足を運びたくなりました。
子供達も私につられて最初は楽しんで居たけれどやっぱり毎日になると飽きてくる。なのでハイキングに行ったり、隣の国スロバキア🇸🇰に日帰りで行ったりしました。
ウィーンでは国立美術館の近くの宿を借りたので大体歩いて色々な所に行けました。
柔術のアカデミーも歩いて30分ぐらいの所にATOSがあったのドロップインに行きました。ウィーンの人々はドイツ語がメインだけど英語が話せる人が沢山居たのでよかったです。
ATOSも世界中にあるアカデミーでHQのサンティエゴ校はめちゃくちゃ強いです。
ウィーンのATOSはショッピング街の一角にあり高級感がありました。生徒達は息子達と同い年ぐらいの女の子が多くイエローベルトの子も何人か居ました。女の先生は元柔道のオリンピック選手だったみたいです。
アカデミーによってベルトの昇格の基準が違うので実際やってみないとどれぐらいのレベルかわかりません。
息子達がハワイに引っ越す前に行ってたサンタモニカのアカデミーは子供達をどんどん昇格して行ってくれました。もちろん子供達はベルトの色が変わったら大喜びです。
昇格の仕方も、大体のアカデミーはホワイトベルト、昇格したらストライプといってベルトの先にテーピングを巻いてくれてそれが4本になると、グレーホワイトベルト、又ストライプが4本貯まればグレーベルト、グレーブラック、イエローホワイト、イエロー、イエローブラックという感じでレベルが上がって行きます。
サンタモニカのアカデミーはストライプもないし、初めての昇格でいきなりグレーベルトになりました。その時はベルトにテーピングのストライプやグレーホワイトベルトなんてあると思ってもいませんでした。
そしてハワイのアカデミーに行ってみるとホワイトベルトの子供達に息子達はボロボロにやられてしまいました。ハワイの子供達も親も先生もグレーベルトの子が来たと噂していたみたいでそれなのにこんなに弱い。。。。ほんと、あの時は息子達が可哀想で見ていらなかったです。
それでも、辞めたいと言わず2年間頑張って、アカデミーの友達も皆んなグレーやグレーブラックに昇格して行き、息子達も友達に負けないぐらい強くなりました。
ちなみに2年間で息子達の昇格はテーピングのストライプ1個。。。これはちょっと厳しいのとちゃうのかなぁぁぁ。。。とも思いますが。。まぁ、ベルトの色で相手の強さはわからないのであまり気にしないでおこうと思う事にしました。
それで、ウィーンのATOSの子供達は息子達にコテンパンにやられてしまいました。息子達がこのアカデミーに行った事で他の子供達の柔術に対しての姿勢が一気に変わった様で、練習後もウィーンに滞在中は練習に来て欲しいと行ってもらえました。ドロップインのお金も要らないと言われました。
3回目に行った時に長男と同い年ぐらいのイエローベルトの男の子が3、4人来ていました。この子達は長男ととても良い勝負をしていました。次男も大きい子相手に簡単に負ける事なく頑張っていました。後で知ったのですがATOSに通ってる子はお金持ちの子が多いみたいで、強い子達は違うアカデミーに行ってる事がわかりました。最初にそのことを知っていたらそっちのアカデミーに通わせたかったなぁと思いました。
合計4回の練習に参加させてもらって、電話番号を交換する友達も出来てここでも又、良い練習が出来ました。
余談ですが、この友達、ウクレインからウィーンのおじいさんの所に来て暮らしているのですが、お父さんとお母さんはウクレインに残って彼1人、戦争の影響でおじいさん所に預けられていると、お父さんとお母さんに会いたいと息子達に話してくれたみたいで、2人とも家に帰ってから彼の事、世界の事を色々話していました。
学校では学べない貴重な経験、生きる事について本当に何を学べば良いのか、自分達で考え感じていって欲しいと思いました。